変身デモクラシー

【あらすじ】

役者、幕ノ内橙五郎(まくのうちだいごろう)は映画の撮影現場と間違えて「きさらぎ町」に迷い込む。そこは、自分の名前と引き換えに「肩書」を手に入れ、変貌した者たちが暮らす楽園だった。

【登場人物】

    幕ノ内橙五郎(まくのうち だいごろう)

言わずと知れた名俳優(自称)。芸名。本名は知らずに生きている。会話の途中で茶番を始める。座右の銘は「人生全てが晴れ舞台」


    案内人(あんないにん)

きさらぎ町の前で来訪者を案内している。大体の住人や場所は把握している便利屋。

元はバスガイド。お節介焼きだったりする。


    椿ちゃん(つばきちゃん)

女学生。歌うことが好き。歌手の椿屋マチ子の歌声を幼少の頃から聴いており、

声が出ない彼女にとって憧れの対象であった。年頃なのでちょっと反抗的。


     社長(しゃちょう)

きさらぎ町の経済を仕切っている男。金に対してかなりの執着心を持つ。

損得で物事を判断する為、金の話が付き纏う。元は平社員。


    将軍(しょうぐん)

きさらぎ町の防衛を担当している男。人を寄せ付けないオーラを放っている。

人を駒としか扱っていない節がある。元は一兵卒。


    博士(はかせ)

 きさらぎ町を研究している男。ありとあらゆる実験をしている。

目に映るもの全てが研究材料だと思っている。元は平研究員。


    同匿(どうとく)

きさらぎ町のシンボルの様な存在。鬼面を覆っている。昔からこの姿であり、人間ではない。肩書の契約を交わすビジネスをし、名前を貰っている。


    影(5人)

    研究員(2人)

    黒服(2人)

    憲兵(4人)

    女性

    リポーター

 

    【本文】

     椿姫第一幕前奏が静かに流れる。

    

    幕ノ内 「『ああ、この名が憎い。いっそのことこの名を捨ててしまいたい。

         もはや、名乗る名などない。私は復讐に身を焦がした呪われし身、

         あなたへの愛すら呪いと化すかもしれない。

         それでも、嗚呼それでも愛してくれるのなら私はどんな呪いだって受けましょう。

         肉体が天へ消え、魂だけになろうとも、この気持ちは変わらないのです』」

    

     どこからともなく拍手が聞こえ、音楽が徐々にフェードアウトする

    

    幕ノ内 「完璧だ。ぼくの目には大勢の観客が見える」

    

    幕ノ内 「今日は初めての撮影だ。はりきって行かなくちゃ。」

    

    それを後ろから見ている案内人

    

    案内人 「アンタ、新入りかい?」

    幕ノ内 「はい。幕ノ内橙五郎と申します」

    案内人 「それが本名かい?」

    幕ノ内 「いえ、芸名です。本名は忘れてしまいましたが、それでもどっこい生きております」

    案内人 「はあ、そら困ったね…でも、ここではピッタリだ。その名前貰っとくよ」

    幕ノ内 「え?あ、はい。ありがとうございます」

    案内人 「まあせいぜい楽しむことだね…久しぶりの客人だ。あの人も喜ぶだろう」

    幕ノ内 「(客人…?ぼくは役者なのに…)」

    

    案内人についていく幕ノ内。町の広場。住人達の喧騒。

    

    案内人 「ところで、アンタは何に変身(メタモルフォーゼ)するつもりなんだ?」

    幕ノ内 「メタモル…?」

    案内人 「ああ、何になりたいってことさ」

    幕ノ内 「(何に?配役が決まっていないのか…?)」

    案内人 「だって欲しいんだろ?肩書」

    幕ノ内 「肩書…?」

    

    

    「「「だから言っているだろう!」」」

    社長  「金が大事だって!」

    将軍  「自衛が大事だって!」

    博士  「研究が大事だって!」

    

     社長、将軍、博士登場。3人ともイライラしている

    

    社長  「いいか、この町の経済を回しているのは俺だ!我が財閥の総力上げれば、

         そんな問題大したことないんだがね!」

    将軍  「黙れ。この町がいつ影に襲われても対処できるように我々がいるのではないか!

         金にしか頭にない貴様が戦場へ出てみろ、恰好の標的だからな」

    博士  「あのねぇ、言わせてもらうけど君たちはやれ金だ、やれ戦うだって野蛮すぎるでしょ。僕の調べた統計データによると実際金もそこまで無くていいものだし、

         武器を作り続ける必要性も皆無に等しい。なぜなら君たちの固定概念や認識論だけで町を判断してるんだ。もっとコペルニクス的転回で考えれば各々が望む物だけがここにあって__」

    社長  「なんだ?知識のひけらかしか?これは頭でっかちが学会で討論を交わす場所

    じゃないんだよ!やめてくれたまえ!そしてお前はその物騒な物を提げて歩くのは何だ?それこそ力で物を言っているようなものじゃないか!」

    将軍  「そういう減らず口を塞ぐ為に持っているとでもいうのか!侮辱するにも程があるな!」

    博士  「あ!それはナシ!暴力反対!」

    将軍  「うるさい!これだから話し合いが解決せんのだ!」

    

     唸り声を上げる3人

    

    案内人 「また始まったよ…」

    幕ノ内 「成金の役に、軍人、それにあれは科学者か…?どんな役者が揃ったんだ?それにしてもすごい気迫だ…芝居の打ち合わせかな」

    

     3人の前へ飛び出す幕ノ内

    

    幕ノ内 「おはようございます!今日から撮影に入る幕ノ内橙五郎です!」

    

     一瞬、口と手が止まる3人

    

    社長  「何だこいつ?撮影?」

    博士  「ほら、何ていうの、活動写真とかの事じゃない?」

    将軍  「大衆娯楽なんぞに興味はない」

    博士  「君はそうだろうけどね。へえ、まだ名前なのかな?」

    社長  「新しい客人か?」

    博士  「そうなんじゃないかな?初めまして、僕のことは博士と呼んでくれたまえ」

    社長  「社長だ。金の話だったらいつでも気軽に相談しろよ」

    将軍  「フン、将軍だ。馴れあうつもりはない」

    案内人 「いや~悪いね。幕ノ内橙五郎にはまだそんなにきさらぎ町のことを話していないんだ。とりあえずあの方の元へ行く道中で話そうと思って」

    幕ノ内 「あの…さっきから客人客人って、僕は仕事をしにここへ来たんです!見学者だとか素人じゃないんです!」

    案内人 「いや、素人も何も…アンタにはまだ肩書がないんだからさ」

    社長  「仕事だと?お前が望むならわが社の社員にしてもいいんだぞ?」

    案内人 「勧誘はだめだって言われてるでしょ!」

    社長  「(舌打ち)」

    博士  「ねぇ幕ノ内橙五郎、きみは撮影って言ったけど、この町にはどうやって来たの?」

    幕ノ内 「きさらぎ町?ここの現場の名前ですか?」

    博士  「違うって。もしかしてどこかと勘違いしてここに来たり…とか。僕の推察、合ってる?」

    幕ノ内 「撮影場所じゃないんですか…?」

    

    力が抜ける幕ノ内

    

    案内人 「違うぞ幕ノ内橙五郎。この町はなりたい自分の衣つまり、肩書を羽織る町『きさらぎ町』だ。アンタが生きてきた俗世間なんて忘れちまいな。ここにいた方が幸せになれる」

    幕ノ内 「ぼくは…芝居がしたい。

         『耳を澄まして!雲雀の声だわ!』」

    

     唐突に茶番が始まる。どこからともなく雲雀の鳴き声。

    

    社長  「なんか急に始まったぞ」

    幕ノ内 「『私、あのさえずりが欲しい。あの声さえあればあの人にだって振り向いてもらえるはずよ』」

    博士  「あの人って誰?」

    幕ノ内 「『お父様お母様。ごめんなさい。あたし、雲雀になりたいの。だからこの町に残るわ。そして日が沈むまで歌い続けるの…飛び立つあたしを許して…』」

    

     飛び立つ幕ノ内

    

    案内人 「アッ勝手にどっか行くなって!」

    

     案内人、幕ノ内を追いかける

    

    将軍  「…何だったんだあいつ」

    博士  「さあ?お金になると思う?」

    社長  「誘っといてなんだが、厳しいんじゃないか?あれだと」

    博士  「僕もそう思う。だってまだ肩書を貰ってなくてあれでしょ?相当な情熱を持ってるか、狂人のどちらかでしょ」

    将軍  「全く理解できん」

    博士  「でもその全く理解しがたいやつがこの町の住人になるんでしょ?どんな肩書になるかは興味があるなあ」

    社長  「本当悪趣味だなお前」

    博士  「君に理解して楽しめる守銭奴向けの趣味じゃないから悪くて結構」

    社長  「なんだと!」

    博士  「将軍、後は任せた。社長のお守を命ず」

    

     幕ノ内達の後を追う博士

    

    将軍  「誰が貴様なんぞの命令を受けるか!」

    社長  「なんで俺がこんな戦バカと一緒にいなきゃならないんだ!」

    将軍  「なんだと!戦バカとは貴様軍人を何だと思っている!」

    

     銃を構える将軍

    

    社長  「もーこれだから冗談が通じない!俺たちも行くぞ!」

    将軍  「貴様は仕事に戻れ!」

    

     町に人々が行き交う。その間を縫うように歩く幕ノ内

     その人混みから歌声が聞こえる(「花」滝廉太郎)

     椿ちゃんが人を気にせず歌い続ける

    

    幕ノ内 「きみ、歌が好きなのか?」

    椿ちゃん「(ハッとして)…誰ですか?」

    幕ノ内 「ぼくは幕ノ内橙五郎」

    椿ちゃん「肩書じゃない…?」

    幕ノ内 「きみもそうだけど、そんなに肩書が大事なの?」

    椿ちゃん「当たり前でしょ!望みが叶った人は悪い顔はしないわ。自分の名前と引き換えて肩書を貰えばいいだけよ」

    幕ノ内 「へえ…」

    椿ちゃん「あなたもそんな顔してないで、肩書を貰えばいいじゃない」

    幕ノ内 「それは…でも名前で呼んで貰えないでしょ?困るんだよ?」

    椿ちゃん「どうして?」

    幕ノ内 「役者は名前が一番なんだ。どんなに素晴らしい芝居をする役者でも名前を知らな

    きゃお客さんに覚えてくれないんだ。で、結局忘れられてしまう…名前は魂と同

    じさ。肩書なんて後からついてくるものだよ」

    椿ちゃん「そんなの別にいいじゃない。なりたいものになれる。夢のようだわ」

    幕ノ内 「名前ってそんな簡単に差し出せるものではないと思うんだけど」

    椿ちゃん「変な名前を付けられるぐらいならマシよ」

    幕ノ内 「ああ、なんかごめん。で、きみは何になったの?」

    椿ちゃん「…椿ちゃん」

    幕ノ内 「え?(考えて)…椿屋マチ子のこと?随分渋いね。ぼくが生まれる前にデビューした人じゃない?今はもう引退してるけど、あの時代の歌手は上手いよね~」

    椿ちゃん「引退…?そんなことないわ。あたしはずっとあのお方の声を聴いてきたんだもの。あの人の声はあたしを救ってくれたのよ!だからあたしは!」

    幕ノ内 「本当の椿ちゃんにはなれないけど、なってみたかった…?きみはきみにしかなれない。人生の主役はいつだってきみだ」

    椿ちゃん「…!」

    

     案内人登場

    

    案内人 「椿ちゃ~ん!なんだ、そこの男をトッ捕まえてくれたんだね」

    椿ちゃん「なに?あんたの仕事だったの?」

    案内人 「そうそう迷惑かけてごめんね~!さ、フラフラとナンパしてないで一緒に行こうね~」

    幕ノ内 「あ!ちょっと!」

    

     案内人、幕ノ内を強引に連れていく。それを涼しげな顔で見送る椿ちゃん

     博士登場

    

    博士  「つーばーきーちゃーん」

    椿ちゃん「博士?見ていたの?」

    博士  「見てたというか、新入りの経過観察というか、対象との比較による自己経過過程の推察から予測できる行動の資料作成を__」

    椿ちゃん「要するに、見てたって事でしょ?」

    博士  「んん、簡潔に言うと六割そうかな」

    椿ちゃん「そんなにあの人の事が気になるんだ?」

    博士  「気になるというか…実験材料にするにはまだ判断しかねないけど、僕の研究対象としては興味深い面をいくつか持っているね」

    椿ちゃん「気になってるじゃない!何よあいつ、名前が大事だとか、椿ちゃんが引退しただとか、あの時代の歌手は上手かった~なんて」

    博士  「きみはきみにしかなれない」

    椿ちゃん「…わかってるわよ。そんなこと」

    博士  「ね?興味深いでしょ?この町の住人が言わないような清濁の知らない希望に満ち溢れた台詞だ」

    椿ちゃん「あたしだってそれが出来たら…」

    博士  「ね、なかなか年頃の娘に刺さること言ってくるよね」

    

     社長登場

    

    社長  「なーに企んでいるかと思えば、研究と称して椿ちゃんを巻き込んでコソコソ嗅ぎ回っている博士くんじゃあないか」

    博士  「なんで社長がここにいるのさ!」

    社長  「椿ちゃんの美しい歌声が聞こえたものでね。音を辿って来たらお前がいたんじゃないか」

    博士  「そもそも将軍と軍備の話で盛り上がってるんじゃなかったの?というか社長でしょ?仕事しないで町を出歩いていいのか?」

    社長  「フン、俺の判断を委ねる仕事以外は部下に任せてある。それと、だいたい秘書に任せてあるんだ。問題ないだろう」

    博士  「それをサボっているというんだ」

    椿ちゃん「ねぇ社長さん、博士ったらあたしより幕ノ内橙五郎の方が大事だっていうのよ」

    社長  「なんだって!椿ちゃんの方がよっぽど金になるだろう!」

    博士  「君って本当に損得勘定でしか動かなすぎるんだよ。多少のリスクがあってこそ多大なる結果が生まれる。それを君は金の物差しで椿ちゃんを計ってるんだ。いやらしい!」

    椿ちゃん「社長…?」

    社長  「いいか、金が全てだ!それでいてこそこの娘には価値があるんだ!俺はいくらだって払ってやる!」

    博士  「椿ちゃん、騙されないで。こいつ金儲けがしたいだけなんだから」

    椿ちゃん「…歌の稽古してくる」

    

     椿ちゃん、去る

    

    社長  「ああ椿ちゃん!」

    

    走り出す椿ちゃん

    そこに素振りをしている将軍

    

    椿ちゃん「将軍…」

    将軍  「椿ちゃん?椿ちゃんではないか。どうした?浮かない顔をして」

    椿ちゃん「それが女を心配する男の顔?」

    将軍  「いや、すまぬ。感情があまり顔に出ないのだ」

    椿ちゃん「ああ、そうだったね…」

    将軍  「そんなに走りこんでどうした?敵兵に追われたか?」

    椿ちゃん「もー!そういうことじゃなくて!」

    将軍  「失敬失敬」

    椿ちゃん「…名前がないと困るなんて信じられない」

    将軍  「名前…か。戦地に赴く私にとっては捨てたも同然」

    椿ちゃん「そうでしょ?だから名前も名前の記憶もこの町にはいらない…でも、本物じゃない」

    将軍  「私にとって椿ちゃんはきみだけだ。胸を張ればいい。言ってしまえばいいのだ」

    椿ちゃん「そ、そうよね!もっとなりたいって気持ちを強く持たなきゃ…私が本物だって分からせてやる。ありがとう、将軍」

    将軍  「なに、礼を言われるほどではない」

    

     遅れて社長、博士登場

    社長  「おやおや?天下の将軍様が女の子とデイトかい?軍人様のやることは違うねぇ」

    将軍  「軽薄な貴様らと一緒にするな」

    博士  「なんで僕も入ってるのさ!女心をイマイチ掴めない社長が椿ちゃんを拗ねさせたんだろ?」

    社長  「研究対象にされる方が分かってないだろ!」

    博士  「研究対象の一人として何が悪いんだい?僕の知識全てを注ぎ込んであげているんだ。人をお金や駒としか見ていない人たちより充分マシだと思うけど?」

    将軍  「貴様が一番人の扱いが人知を超えているだけだ」

    博士  「僕だけのせいにしないでよ。君たちだって名前以上の対価を払って今の地位にいるんだろう?考えることは大きくなって当然とは思うけど君たちは命として扱ってないんだよ。そこの違い!」

    将軍  「これだから貴様は配下に置きたくないのだ」

    社長  「お前らのつまらない話なんかいいんだよ。将軍、椿ちゃんはどこへ行ったんだ」

    将軍  「それで利口になったつもりか。貴様に応える筋合いなどない」

    社長  「ケチ」

    博士  「大方あのお方の所だろう。僕はお先に~」

    社長  「あっ待て!」

    

     同匿の館

     引っ張られる幕ノ内

    

    幕ノ内 「離してくれ!自分の道は自分で決める!」

    案内人 「かっこつけてないで!肩書を貰える人に会いに行くんだよ」

    幕ノ内 「ぼくは肩書なんていらないんだって!」

    案内人 「貰わなくても話してみるだけいいじゃないか!」

    幕ノ内 「キャッチみたいな言い方しないでよ!」

    案内人 「同匿様、連れてまいりました!」

    

     バリバリと咀嚼音が聞こえる

    同匿登場

    

    同匿  「ご苦労、下がってよいぞ」

    案内人 「はっ」

    同匿  「そなたか、この町に迷い込んで来たものとは」

    幕ノ内 「ぼくは芝居がしたい。この町に留まるわけにはいかないんです。」

    同匿  「この町には自ら望んで来たのではないのか?」

    幕ノ内 「ぼくは映画の撮影場所だと思ってここに来たんです。帰らないと…」

    同匿  「帰るなら帰ればよいではないか」

    幕ノ内 「どうやって帰ればいいかわからないんです!ここは一体どこなんですか?」

    同匿  「どこ…と言われてもきさらぎ町としか答えられないな。ちなみにどこに帰りたのだ?」

    

    同匿、手元にあるボードに挟んだ書類を見る

    

    幕ノ内 「…」

    同匿  「どこの撮影場所だ?…忘れたのか?」

    幕ノ内 「ここじゃないんです。ここじゃないのは確かなんです」

    同匿  「幕ノ内橙五郎…そなたは何かになりたい気持ちの強さでここに導かれたのではないだろうか。なりたいものはなんだ?お前の名前と引き換えに何でもなれるぞ」

    幕ノ内 「ぼくは役として何にでもなりたいんです。役者の肩書とはそういうものです」

    同匿  「役者か…よろしい」

    幕ノ内 「でも名前がなくなるのは困るんです」

    同匿  「なぜ?肩書を持てば永遠に芝居ができるのだぞ?」

    幕ノ内 「ぼくの舞台はこの町だけじゃないんです。もっとたくさんの人に芝居を見てもらいたい。それにここの人たちは肩書を持つことを誇りに思っているかもしれないけど、なんだか肩書に人生の主役を奪われているような気がする」

    同匿  「この町に残るのは肩書をもらう上での契約だから仕方のないことだ。本人たちも同意して署名をしている。私はたくさんの人をできる限り救いたいのだ…」

    

     椿ちゃん登場

    

    椿ちゃん「同匿様!」

    幕ノ内 「椿ちゃん?」

    椿ちゃん「私をもっと椿ちゃんにして下さい!契約させてください…!」

    同匿  「…いいでしょう。あなたは名前を差し出しているが、名前と同じぐらい大切なものはか?」

    椿ちゃん「記憶…椿ちゃんの記憶以外であれば…」

    幕ノ内 「そんな!椿ちゃん!」

    同匿  「いいでしょう。記憶と引き換えに契約しよう」

    椿ちゃん「お願いします」

    幕ノ内 「椿ちゃん!」

    椿ちゃん「あたしは椿ちゃんしかいないの!何も知らないくせに自分が正しいみたいな

    こと言わないでよ!あたしは自分が嫌いなの!ここで生まれ変わりたいの!」

    幕ノ内 「椿ちゃん…」

    椿ちゃん「同匿様、始めてください…」

    同匿  「わかった」

    

     同匿、巻物(契約書)を取り出す

    

    同匿  「『そは、朔歴一九〇二年皐月の一七に生を賜りし者なり。齢三つの時、声を失い口のきけぬ余生を送る。嘆きの声すら届かぬ子を救いたまえ。汝が求めし歌声を命(みこと)の記憶より重きことを誓い給う。過ぎし己の雑念俗物を捨て、全て肩書の言の葉に身を委ねるべし。メタモル・メタモル・メタモルフォーゼ』」

    椿ちゃん「メタモル・メタモル・メタモルフォーゼ」

    

     祈る椿ちゃん

     鈴の音が3回聞こえる

    

    同匿  「…契約は以上となります。本日の営業は終了致しました」

    

     「蛍の光」を口ずさみながら去る同匿

    

    幕ノ内 「終わった…のか?」

    

     晴れやかな顔の椿ちゃん

    

    椿ちゃん「ねぇあなたはどんな歌が好きなの?歌ってあげる!それともあたしの好きな歌を歌った方がいいかしら?とってもいい気分なのよ」

    

     「早春賦」を高らかに歌いながら椿ちゃん去る

     社長、将軍、博士登場

    

    社長  「ああ…椿ちゃんが椿ちゃんになってしまった」

    将軍  「素晴らしい。これは兵士たちを癒す歌声だ」

    博士  「人間の精神概念を超えてしまった…椿ちゃんは本物の椿ちゃんだ!」

    

    三人  「万歳!椿ちゃん、ばんざーい!」

    

     なぜ喜べるのか…?という顔をする幕ノ内

     万歳の声が響きながら暗転

    

     明転。幕ノ内と案内人。遠くで椿ちゃんの歌声が聞こえる

    

    幕ノ内 「かれこれずっと歌い続けているぞ」

    案内人 「これが彼女の幸せだ。声を失っても、歌っている椿ちゃんに対する執念は凄まじかったんだよ」

    幕ノ内 「確かに自分の声を失うのは悲しいが…」

    案内人 「本当にその状況に置かれた者でしかその痛みは分かりあえないさ。それでも痛みを分かち合おうとするんだ。人間って不思議だよな。全てを分かってもらえるわけじゃないのに…」

    幕ノ内 「その心に寄り添えるのは人間だけだよ。全てじゃないけど分かち合える。共有できる」

    案内人 「アンタはいい人生を送ってきたんだな…」

    幕ノ内 「そう…かな。昔、ある人に言われたんだ。『自分の人生の主役は自分だけだ。晴れ舞台なんだから堂々としていろ』 って。だから、自分のやりたいことに妥協したくない…だから、椿ちゃんを止めようとした。でも止められなかった」

    案内人 「その人の言うとおりだよ。己の人生を他人にゆだねる必要はない。椿ちゃんも、覚悟があって望んだことなんだ。幕ノ内が悔いることじゃないさ」

    

     サイレンの音がけたたましく鳴り響き、辺りが薄暗くなる

    

    幕の内 「なんだ⁈」

    案内人 「逢魔時だ!奴らが来る!」

    幕の内 「奴って?」

    案内人 「影だよ!自分の影!」

    幕ノ内 「影だって⁈」

    

     銃声が数発聞こえる

     将軍が声を荒げる

    

    将軍  「住民は直ちに建物の中へ避難するように!」

    

     将軍、幕ノ内達を見つける

    

    将軍  「貴様ら早く逃げんか!撃ち殺されたいのか!」

     社長が手招きをする。黒服が無線でやりとりをしている

    

    社長  「早く!こっちだ!」

    

     逃げつつ暗転

     明転。社長のオフィス内

    

    案内人 「はあ…なんとか」

    幕ノ内 「あ、ありがとう社長。見直したよ」

    社長  「見直すぅ?俺は同匿様に言いつけられて仕方なくお前たちを保護してやったの    

         だ。それとも何だ?礼を言うということは借りをいくらで返してもらえるんだ?」

    将軍  「(外の様子を見ながら)こんな非常時でも金の話か」

    案内人 「ところで、逢魔時って久しぶりじゃないか?」

    将軍  「ああ。その時の為の役者はそろっているぞ」

    社長  「フン、せいぜい契約金分は働いてもらおうか」

    幕ノ内 「影が襲ってくるってどういうことなの?」

    将軍  「同匿様の契約上、名前から解放された者は他の生き物と平等になると定められている。その影たちは我々が名前を失い、平等となったとき、自分の型にはまる肉体を手に入れ、完全な生き物になる好機なのだ」

    幕ノ内 「そんなルール聞いてないよ!」

    

     博士登場

    

    博士  「ルールはルール。この町で通用する世間のようなもんさ。デモクラシーが人間だけに対応せず、全ての生き物に対応する真のデモクラシーさ!」

    社長  「どっから湧いて出た」

    博士  「きみんちの地下室を有効利用させてもらっただけだよ」

    社長  「勝手なことしやがって…」

    博士  「(社長を無視し)いいかい、ここは肩書を持つことによって誰でも変身できる町だ。もし、影が肉体を手に入れ名前を思い出してしまったら、同匿様との契約は破棄される。肉体もなく名前も肩書もない状態即ち、影になっちゃうんだよ」

    幕ノ内 「そんな…!」

    博士  「もっとも厄介なのは肉体も名前もあるきみだ。どこかの影が乗っ取ることも可能なんだからな」

    幕ノ内 「ぼくのせいか…」

    博士  「あくまで考えられる原因のひとつとして、だ。責任を負うのは被害が出てからにしてくれたまえ。それならすぐ暫定できる」

    社長  「おい頭でっかち、得策はないのか」

    博士  「おや、金にしか信頼のおけないきみが僕を頼るなんて槍でも降るんじゃないのかい?」

    社長  「寝言は寝てから言うんだな。お前自身じゃないお前の脳みそだけを買っている」

    将軍  「しっ!静かにしろ!」

    

     遠くで椿ちゃんの歌声が聞こえる

    

    将軍  「まさか…!まだ逃げていなかったのか?」

    幕ノ内 「椿ちゃんが危ない!将軍、助けに行こうよ!」

    社長  「バカ!今外に出るんじゃない!」

    幕ノ内 「今、彼女は歌う事だけに必死なんだ。影のことなんて考えていないはずだ!」

    博士  「それは一理あるね。でもきみが行くのはナンセンスだ。まあきみが影に食われる瞬間を僕に観察させてくれるなら気兼ねなく外へ出てくれ」

    

     それでも外へ出ようとする幕ノ内

    

    案内人 「俺が行くよ」

    幕ノ内 「えっ」

    案内人 「俺の肩書をなんだと思っている?俺は案内人だ。仕事は必ずこなす」

    

     案内人、扉を開け、出ていく

    

    幕ノ内 「いいのか、あんたたちは動かなくて」

    将軍  「あいつは無謀ではない。それは私たちがよく知っている。我々は我々ができることをするのだ。(無線を聞き)住民の避難は椿ちゃん以外済んだぞ」

    

     博士、無線をとる

    

    博士  「こっちも準備が出来たようだね。さ、こっちへ行こうか」

    社長  「ここ俺の会社!」

    

     移動、暗転

    

     明転。博士の研究室

    

    社長  「なんで俺の会社とお前の研究室が繋がっているんだ?」

    博士  「何かあった時の為に繋いでおこうと思って…」

    社長  「緊急時以外の使い道が全くないじゃないか!」

    将軍  「…にしても、これは一体何の研究なんだ?化学兵器か?」

    博士  「え?聞きたい?教えてあげてもいいよ?」

    将軍  「いや、今はいい」

    幕ノ内 「これ…」

    博士  「ああ、これね…何だと思う?フフ、人口太陽さ」

    幕ノ内 「ただの照明じゃないか!」

    博士  「まあまあ、とにかくこの人口太陽は実験を重ねること7456回、約80%の確率で影の動きを止めるシミュレーションに成功しているんだ」

    将軍  「ほう?」

    博士  「これさえあれば多少、影に影響はでるはずだよ。さあ反撃と行こうじゃないか」

    

     3人出ていく。幕ノ内、間を置いて出ていく

    町の広場。影がうごめいている。中央にいる椿ちゃんは歌い続けている

    

    案内人 「椿ちゃーん!」

    

    案内人、椿ちゃんを見つける

    

    案内人 「椿ちゃん!」

    

     椿ちゃんは逃げようとせず歌い続けている

    

    案内人 「よく聞け!俺は案内人だ。お前たちが求めるものを契約してくださるものがいる!そこへ案内しよう」

    

     影数人が案内人の元へ近づき、周りを囲もうとする

    

    案内人 「そうだ、それでいい」

    

     椿ちゃんが影の存在に気づく、歌の途中で息が詰まる

     影の一人が近づく

    

    影   「楽になろうよ。このまま歌い続ければ、きみの声は嗄れちゃうよ」

    

     歌おうとする椿、あまり声が出ない

    

    影   「その喉の痛み…ぼくと一緒なら全く感じずに歌えるんだよ?」

    

     必死に歌おうとする椿ちゃんな

    

    影   「きみの願い…なんだって叶えてあげるよ。だって元々ぼくらはひとつなんだから」

    

     声がだんだん掠れていく

    

    影   「ぼくはね、ずーっときみと一緒だったんだよ?ねえ、もう一度きみの名を呼んで、ぼくに聞かせて…」

    

    社長  「今だ!」

    

    人口太陽が影に照射される。悲鳴を上げる影。すかさず将軍が影を背後から斬りつける

    

    将軍  「総員突撃!」

    

    後から将軍の兵たちが他の影を追おうとする。その後から社長と黒服が出てくる

    

    社長  「いいかい、丁重に誘導するんだよ?」

    

     黒服が椿ちゃんを連れ出す。博士と研究員が遅れて登場

    

    博士  「人口太陽の出力状態はどうだい?」

    研究員 「プラズマレベル7、プリズム波、紫外線ともに良好です」

    博士  「上出来だ」

    社長  「あいつはどうした?」

    

     兵が将軍に耳打ちする

    

    将軍  「…同匿様の元に向かったようだ」

    社長  「全く、たかだか案内人がでしゃばんないで欲しいね。追うよ」

    

     3人が同匿のもとへ赴く

    

    同匿の館に案内人が影を引き連れる

    

    案内人 「さあ、こっちだ」

    

     再び影が案内人を囲もうとする。その前に案内人が館のインターホンを押す

    

    同匿  「何事だ…?おや」

    案内人 「同匿様!こいつらは肉体を奪い名前を欲しがっています!」

    同匿  「名前がない…?」

    案内人 「え、ええ…彼らは影ですから」

    同匿  「(影に向かって)あなたがたはなりたいものは…いえ、それではない。名前がないと契約できないのだ。人間とはかくも贅沢なものだな」

    案内人 「同匿様…?」

    同匿  「むう…名前がないと味がないのだが…致し方ない。こちらへお入り」

    

     影が同匿の館内へ入っていく。同匿はぼそっと「営業時間外なのに…」と言い残して去る

     同匿の館からバリバリと咀嚼音が聞こえてくる

    

    案内人 「…!」

    

     幕ノ内登場

    

    幕ノ内 「どうした?大丈夫か?」

    案内人 「食べている…」

    幕ノ内 「食べている?」

    案内人 「同匿様が影を食べている」

    幕ノ内 「…そういえば影の姿もないな」

    

    次第に外の景色が明るくなる

     バリバリと咀嚼音が続く

    幕ノ内 「そういえばこの音…」

    案内人 「ところでお前、外に出ちゃダメなんじゃないか?」

    幕ノ内 「『俺は待つことができない男なんでね』」

    案内人 「勝手に飛び出してきたんだな」

    幕ノ内 「まあ、そんなところかな」

    案内人 「まさか、同匿様は影も食べるとはな…」

    幕ノ内 「影の他に何か食べるの?」

    案内人 「契約した名前を食べている」

    幕ノ内 「名前を食べる?」

    案内人 「それが同匿様の神秘的な契約の素になる。俺も最初それを聞いた時はびっくりしたけど…。なんでも、名前には俺たちには理解できない味があって、それが同匿様の好物らしい」

    幕ノ内 「もういよいよ人じゃないな…」

    案内人 「あのお方は人じゃないよ。もっともっと偉大な方だから」

    幕ノ内 「名前のない人間は…どうなるんだ?」

    案内人 「どう?言っただろう?この町で肩書を持って幸せを掴むんだ。だから、幕ノ内。この幸せをきみに案内してあげたかったんだ」

    幕ノ内 「だから、ぼくは帰らなきゃ!」

    案内人 「でも言ったんだ。お前は芸名しかないのに。自ら契約したんだ。思い出してみなよ」

    幕ノ内 「違う!こんなの呪いだ!狂信者か何かだ!…いや、待てよ」

    

    椿姫第一幕前奏が静かに流れる。

    

    幕ノ内 「『ああ、この名が憎い。いっそのことこの名を捨ててしまいたい。

        もはや、名乗る名などない。私は復讐に身を焦がした呪われし身、

         あなたへの愛すら呪いと化すかもしれない。

         それでも、嗚呼それでも愛してくれるのなら私はどんな呪いだって受けましょう。

         肉体が天へ消え、魂だけになろうとも、この気持ちは変わらないのです』」

    

     ハッとする幕ノ内

    

    同匿  「…愛しているぞ、そなたの名前」

    

     同匿登場

    同匿  「そなたの父母が付けた名が呪いだと?…その名前、我に捧げてはくれぬか。将来、優しく素直で愛せる子にと願いを込めた名前、どうか名を捨てずに我にくれぬか」

    幕ノ内 「俺の呪いを解いてくれるのか?」

    同匿  「呪いを解くのではない、契約するのだ」

    幕ノ内 「新しい呪いなら喜んで受けよう、お前が愛してくれるなら」

    同匿  「ああ、愛してやろう。そして唱えるのだ、新しき名を」

    幕ノ内 「俺は役者だ。演じられないものなどあっただろうか?いや、あるわけがない。この幕ノ内橙五郎、此の世の全てのもの化けて、アしんぜよーう」

    

     幕ノ内橙五郎を囃し立てる声が大きくなる

    

    同匿  「愛しているぞ、幕ノ内橙五郎。もう一芝居を打ってくれ」

    

     思い出す幕ノ内

     同匿が闇に消えていく

    

    幕ノ内 「ぼくはとうに…変身(メタモルフォーゼ)していたんだ」

    

    暗転

    

     明転。鬱蒼と茂る森にリポーターと女性が恐る恐る入り込む

    

    リポーター「そういえばこの場所って、神隠しとか言われて行方不明者が多いんですよね」

    女性   「ええ、確かこの場所です」

    リポーター「噂に違わぬ心霊スポットですね」

    女性   「はい…。ここで椿屋マチ子がよく歌っていた歌が聞こえてくるんです。でも壊れたラジオしか置いてなくって」

    

     椿ちゃんの歌声が聞こえる

    

    リポーター「確かに聞こえますね」

    

    歌と共に札束をばら撒きながら高笑いする社長の声、フラスコの中の液体が煮沸する音と

    一緒に何かぶつぶつと言っている博士の声、町の人々の声が重なり兵隊の足音やファンフ

    ァーレが聞こえる

    リポーター「な、何でしょうこの音!」

    女性   「町だわ…ここに町があるんだわ」

    リポーター「町…ですか?」

    

     次々ときさらぎ町の人々が出てくる。乾杯の歌が聞こえてくる

    

    女性   「ほら!そこ!…いるわよ、いっぱいいる!」

    

     きさらぎ町の人々がパーティーを始め浮かれている

    

    同匿   「さあ、この町をどんな町よりもいい町にしよう。メタモル・メタモル・メタモルフォーゼ!」

    

     椿ちゃんと幕ノ内が歌い踊る。さらに盛り上がる町の人々

    

    女性  「ギャー!祟りよ!呪いよ!」

    

    一目散に逃げる女性

    

    リポーター「きさらぎ町は本当にあったんです!い、以上現場からでした!」

    

     リポーターに近づく町の人々。悲鳴を上げるリポーター

     プツン、とテレビの電源を切る音ともに暗転、画面砂嵐の音がザーッと聞こえる

    

    (幕)